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ホエールウォッチングのボランティア ホエールウォッチングのボランティアガイドは、ずっと、私のねらっていた仕事だから、他のどの仕事を断られても、絶対、これだけはやりたい! しかし、今回は、エリザベスが笑って許可してくれるには、ひとつクリアーしないと行けないことがあった。 サイトの題名にもなっている、”モーションシックネス”。 「実は、私は船酔いするんだけど・・・」 「それでもやりたい!これが最後の目的よ!2年しかいられないボストンで、絶対やっておきたいのよ!」 エリザベス説得のために、あらかじめうちで考えて練習していた英語を全部、話した。 「やってみれば、いいじゃない」 黙って私の話を聞いていたエリザベスが、あんまりこともなげに許可してくれたので、勇んでボランティア室に乗り込んだ私の方が拍子抜けした。 かくして、無事、数回のボランティアガイドの講習を受け(講習からして、クジラのことばかりだから、もう楽しいの何のって!!)、初乗り込みの段となった。 ホエールウォッチング 1991年 4月27日 1991年最初のホエールウォッチングは、上々の天気。 今日は、ボイヤジャーのキャプテンから、ホエールウォッチングガイドのボラ全員が、ウォッチングに招待された。 旦那も、今年分の私のボラ無料券で乗船。 出航すると同時に、今日のナチュラリストのシンメンの、「ようこそボイヤジャーへ」のアナウンスが始まる。 ボイヤジャーは、すぐに、飛行機の忙しく発着するローガン国際空港を左手に通り過ぎ、やがて湾内に多数の島々が現れ、それらの島々の歴史を聞きながら沖へ出た。めざすステルワーゲン堆は、26マイル沖だ。 ステルワーゲン堆の海底は、丘のように高く「堆(Bank)」になっている。 海流は堆にぶつかり、「湧昇流」と呼ばれる上向きの流れを作るが、その時、海底に沈んでいた栄養分を水面に押し上げ、太陽光の当たる海面で、植物プランクトンが大発生する。 更に植物プランクトンは、それを餌とする動物プランクトンを、動物プランクトンはそれを餌とする小魚を魅了するので、湧昇流の起こるところは、世界中どこでも好漁場となっている。ステルワーゲン堆もそうだ。 ここには、魚に惹きつけられた人間のみでなく、クジラも、この海域を夏の餌場として利用しにやってくる。 主に、ザトウクジラ、ナガスクジラ、ミンククジラのヒゲクジラ類と、大西洋カマイルカ、ゴンドウクジラのハクジラ類が見られる。 この日、姿を見せたのは、ザトウクジラ、カマイルカと、カナダでも見たナガスクジラだった。 ソーシャライジング(複数頭で共に行動している) ザトウクジラは、ナガスクジラより小さいが、それでも14〜15mはありそうで、WWでは最もよく知られた人気のあるクジラだ。 体長の3分の1ほどもある、長くて白い胸びれが、プランクトンで緑がかった海中に、遠くからでも鮮やかに見える。 イルカも、あちこちでジャンプしている。 ザトウクジラやナガスクジラも多く、船の周りは、クジラたちで囲まれた感じだった。 どちらを向いてもクジラだった。 1991年 5月3日 ガイドとしての初回。 天気予報では風は20MPH(マイル/時)、気温15度。 凄く荒れていて、特に船が停まっている時は、大きく揺れる。 私がホエールウォッチングガイドになる前から、クジラ、クジラと、わあわあ騒いでいたので、エドジャートン研究室の皆が、酔い止めの「スコポラミン」という貼り薬を教えてくれた。これは病院で処方箋をもらわないと手に入らないが、「よく効くよ」と保証してくれた。 考えてみれば、水族館と水とは切っても切れない縁なのだから、館内では広く知られた薬だったに違いない。 さすがに、こんなに荒れているのに、ちょっと気持ち悪いかな?くらいで、薬の効果はなかなかだ。 今日もザトウクジラ、カマイルカ、ナガスクジラを見た。 ザトウクジラは、大型クジラの中でも人なつっこそうで、船の近くでいろいろな行動を見せてくれる。 今日は、ブリーチング(一旦潜って、海中から勢いをつけて海面でジャンプする)と、フリッパースラッピング(海面で仰向けになって泳ぎながら胸びれを空中に振り上げ、海面に叩きつける)の他に、餌を食べている(フィーディング)ザトウクジラも見られた。 この海域でザトウクジラが好物なのは、サンドランス(いかなご)と呼ばれる10cmくらいの細長い小魚だ。 ザトウクジラは、いろいろな行動を見せてくれる鯨種としてポピュラーだが、一説には、クジラは荒れた海では海中でお互いにコミュニケーションを取るのが難しいので、体を使って音を立てて自分の位置を知らせるらしい。そのためか、これらの行動は一度限りの場合もあるのだが繰り返し行う場合が多い。 ナガスクジラは、カマイルカと一緒に素早く泳いでいった。 1991年 5月10日 風10MPHで穏やか。天気もいい。 この季節はまだ、海上は寒い。ただ陽があたる分、先日より暖かい。 今日はザトウクジラのみ、たくさん。フィーディング、ブリーチング、フリッパースラッピングあり。 1991年 5月10日 風10〜15MPH(天気予報)だが、海はもっと荒れている。 このところ遠足の団体が多い。 今日は、高校生の団体が入り、荒れた海よりエネルギッシュだ。 「箸が転がっても可笑しい」年齢に日米の差はないらしく、悪天候にもかかわらずデッキに出て、波がかかったといっては喜んで船室に舞い戻ってくる。 私は、そのエネルギーにあてられて、帰路はすっかり船酔いしてしまった。 私と一緒に働くボランティアのブルースは、サングラスをかけクールでカッコいい。荒れた海で揺れてバランスを取るのが難しいボイヤジャーの中を颯爽と歩いて、悪ガキたちの行動が行きすぎないように注意して回っている。こちらはブルースに頼って寝ることにした。 船酔いに空腹は行けないが、余り水分の取り過ぎも行けないと聞いた。しかし、ダイバーのクリスは、たくさん水を飲むといいよと教えてくれた。 人によって酔い止め対策は違うらしい。自分で自分のやり方を見つけるしかないのだろう。 1つ言えることは、波、特に船のすぐ下の波をのぞきこむことは絶対よくない。確実に気分が悪くなる。もっとも、中途半端に船酔いして(つまり、胃の中のものをもどせなくて)苦しいときに、船の真下に波をじっとみつめて、すべて出してしまう手段としてなら効果がありそうだ。 乗り物酔いは気分の問題と簡単に言われてしまう場合が多いが、酔っている当人は、船酔いしたくてしているワケではない。どう気分転換しようとしても酔うときには酔ってしまうものだ。私自身も車には酔ったことがなかったので、それまで酔うという感覚が分からなかった。 しかし、「私は酔ったことがない」とは言えても、「私は絶対酔わない」とは言えないそうだ。体調や精神的なコンディションの状態で、誰でも酔う可能性があることを知った。ボイヤジャーのクルーでも、シーズン最初の頃は船酔いすることがあるそうだ。シンメンも余り船に強い方ではないそうで私が船酔いしていると気の毒そうな顔をした。 彼によると、新聞記事にアジア系の人間の方が、バランスを取る耳の中の三半規管の構造の関係で酔いやすい、と出ていたそうだ。もちろん、アジア系であっても酔わない人はたくさんいるのだが、アメリカで働いている自分にとっては、シンメンにそういってもらえて少しは言い訳できたかなという感じで、ちょっとホッとした。 今日もザトウクジラのみだったが、ブリーチングが数多く見られた。 1991年 5月24日 海上穏やか 今日は、午前の便に、エドジャートン研究室のパットが、研究室を辞めてハーバード大学の付属病院に移ったマチーナを連れてウォッチングに来てくれるので、午後に加えて午前も船に乗った。 水族館職員とボランティアにはシーズン中、1回、ホエールウォッチングに無料で行ける特典がある。(私はシーズンはじめに旦那のために使った) 今日も、ザトウクジラのみで、あいにく、午前のトリップでは、尾びれを見せて潜る行動だけだったが、天気がよく、2人はデッキでクジラを楽しんだようだった。マチーナは飼育やウォッチングのような現場で働く女性と違って、水族館の研究室で秘書として働いていて、いつもお化粧もきちんとしておしゃれする都会的な女性なので、「マチーナは船酔いしそうね」と、パットと話していたが、全く大丈夫だったようだ。 私もなんとか、2航海もつようにと、朝から塩味クラッカーや梅干しを食べ、休憩時間にはデッキで水平線を見るようにつとめたためか、午前中は完全にOK、午後も何とか船酔いから免れた。塩味クラッカー(サルチンクラッカー)は、ボイヤジャーにもたくさん置いてあり、船酔いした人に食べてもらう。どうやら、アメリカでは公認の船酔い止めのようだ。 午後、ザトウクジラの行動が変わり、フリッパースラッピングやブリーチングを繰り返した。 1991年 5月31日 ライトウィンドで曇り。 小学生の団体が入り、入れ替わり立ち替わり子供たちがステーションとタイドプール(潮だまりの生物の展示)にやってくる。 タイドプールの動物たち(今日はヒトデ、サバの幼魚、カニ、クラゲ、イガイ、フジツボを採集した)は、館内のタイドプールと同様に、まず、動物の持ち方をボランティアが示し、構造や生態を説明して、子供の手のひらにのせる。ボランティアが模範を示せば、ヒトデを1つの腕で持ち上げて振り回したりといった、乱暴なことをする子供はいない。 しかし、今日はクラゲに触れたい子供が多すぎて、クラゲはすっかりくたびれてしまい、航海途中で海に返すことになった。その他の動物たちは航海が終わると元の住処に返される。 ザトウクジラの子供が、何度もブリーチングを繰り返した。 子供は、クジラも人間も、活動的で好奇心旺盛だ。 クジラのステーションでは、私たちの説明を熱心に聞いて、すっかり覚えてしまった子が数人、私たちなり代わって他の子供たちに説明をしている。 1991年 6月7日 穏やかな海。 ザトウクジラに加えて、久々に、ミンククジラとナガスクジラが見えたが、寝不足でひどい船酔いだった。 1991年 6月14日 そよ風があるが、港より沖の方が穏やか、23℃。 いつも、海上では地上より一段寒い。セントローレンス河でウォッチングしたときも、急に寒くなってから気分がおかしくなったように、どうも、寒さは船酔いに関係しているように思える。もう6月だけど、今日は、ジャンパーを着ることにした。風邪気味だったが、朝、タイレノール(アメリカで一般的な解熱・鎮痛剤)とアレルギーの薬を飲んでいたので、快調だった。 船に乗る前・中には、とにかく食べることにした。そのために今日からちょっと塩辛目のおにぎりを持参。塩が胃の中の水分を吸収してくれていいと聞いたのだ。 今日一緒に働いているグレンは、すでに水族館ガイドとして実績があり、働き者で、頭がよく、控えめ、職員も一目おくベテランの1人だ。 彼の提案で、グレンと今日のもう1人のボランティアのマルカス、私の3人で、2つのステーション(クジラとナビゲーション)とタイドプールをローテーションで受け持つことになった。3人なので、1人は休憩することができる。 ボランティアガイドは、ボイヤジャーの売店で売っている飲み物やスナックをセルフサービスで食べていいことになっている。船にゆられると結構疲れてお腹が減るので、休憩時間にはよく、ジンジャーエールやグラノラ・バー(朝食に食べるグラノラというシリアルを固めてチョコレートコーティングしたもの。これは気分のいいときだけ、悪いときは、チョコレートは絶対ダメ。)を食べる。 ザトウクジラとミンククジラ数頭を見た。ザトウクジラは、フリッパースラッピングを見せた。 1991年 6月21日 地上で33℃あると、さすがに海上も気持ちいい。 今日は団体客がなく、他の乗客も少ない。船内は静かだ。 今日もタイレノール服用、おにぎり持参。 ザトウクジラ6〜7頭が、バブルネットフィーディングをする。 これは、ザトウクジラ特有の採餌方法だ。 ザトウクジラは餌の魚がたくさんいる海中で協同で(あるいは1頭で)、魚の群れの周りをぐるぐる囲むように泳ぎ、一カ所に魚を集める。 泳ぎながら、鼻の穴から息を吐いて空気の泡を出すので、円柱形の泡のカーテンの中に魚が囲われる形になる。 魚が充分にたまったところで、クジラは大口を開けて魚群をすくい上げる。口の中には魚と共に多量の海水もはいるが、口の中に魚だけ残して水は口の外にためにヒゲがある。 ステルワーゲン堆でみられるヒゲクジラは、ザトウクジラ、ミンククジラ、ナガスクジラ、セミクジラだ。 ヒゲは、生えている場所から言っても素材から言っても、人間のヒゲからはほど遠く、成分(ケラチン)はむしろ爪に似て、人間で言えば、上歯の生えているところに規則正しく密生している。 長さや大きさ、ヒゲの間隔、色は、鯨種によって餌が違うために大きく変わるが、いずれも端がほうきのように細かく剥がれてほつれている。 このほつれは、口の外に海水を押し出すときに、餌が口の内にひっかかる役目をしている。 さらにこれらヒゲクジラのうち、ナガスクジラ系のクジラ(ザトウクジラ、ミンククジラ、ナガスクジラ)は、下あごからお腹にかけて、数本から数十本の「畝」とよばれる溝をもつ。餌を含んだ海水を口にためるとき、畝はアコーデオンのじゃばらのように広がり、受け皿を最大限に大きくする。 すぐにクジラは、ヒゲを通して口の中の水だけを外に排出する。同じヒゲクジラでも、セミクジラは、また別の採餌方法をとっている。 残念なことに、今日のバブルネットフィーディングは、遠かったりはっきり口を開けなかったりで、わかりにくかった。 子供を連れたザトウクジラの母親が、上唇に怪我をしている。一直線にできた傷は、まだ新しいらしく、赤く痛々しい。おそらくは、漁網がかかりそれから逃れようともがいてできたのだろう。 この海域は漁場なので、ウォッチングをしていても、漁船を見かけたり、刺し網を仕掛けた合図のブイと旗が浮かんでいたりする。又、もっと沿岸には、ロブスターをとるための罠が海底に仕掛けられているところもあり、これらに影響を受けるクジラも少なくない。運がよければこの母親クジラのように自力で脱出できるか、人間の手で助け出されるかするが、そうでなければ、そのままネットを体につけたまま、だんだん動きがとれなくなって、鮫やシャチにおそわれたり、おぼれたり、栄養失調などで苦しみながら死んでいくことになる。こどもがまだ授乳中だったら子供の生存にも大きく関わって来るだろう。 1991年 6月28日 地上は36℃で猛暑。海は穏やか。 いつもは地上と体感温度が10℃くらい違うので寒いが、さすがにここまで暑い日は、海上は気持ちがいい。 今年の2月にエドジャートン研究室を辞めて今はマサチューセッツ総合病院(MGH)で働くコリーンの紹介で、Sさんという日本からのお客さんをお誘いして、ウォッチング船に乗った。SさんにはMGHに留学中の息子さんがおられて、息子さんが仕事が忙しくてボストン案内ができないのでコリーンが「じゃあ」と、私に白羽の矢をたてたのだ。 Sさんは、おそらく私の両親と変わらないくらいの年代の方だが、活動的で明るい。 動物がお好きらしく、昨日は、水族館を案内して、意気投合した。 水族館の売店でご自分用に選んだトレーナーは、偶然、私が持っているものと同じで趣味も合いそうだ。 Sさんは、英語をほとんどしゃべれないが、「心と心が通じ合うのがすべて」を実践する方で、水族館でもウォッチングでも、人見知りせず日本語で隣の人に話しかけられる。事実、しゃべるときには、その人の身振りや表情に負っている部分がかなりあるので、それなりにSさんの言いたいことは周囲に通じ、友好的な雰囲気を醸し出していた。 私がちょっといない間にも、近くのアイスクリーム屋さんまで1人で行かれて、ちゃんと自分の好きなフレーバーを買って来られて楽しそうに食べていた。どうしても英語の技術に頼ってしまおうとする今の日本人に足りない部分だ。本当はこれでよいのだと思う。技術よりも心が求められている。 今日は、Sさんを歓迎するかのように、カマイルカの大群が現れ、ジャンプしたりロブテーリング(空中に大きく尻尾を上げて海面にたたき落とす)し船はイルカの群に囲まれて賑やかだった。ザトウクジラはフリッパースラッピングした。 Sさんはカメラを持っていらっしゃったが、見るのが優先で、あまり撮れなかったといっておられた。 ザトウクジラが近寄ったのと、イルカが飛んだり跳ねたりしていたのには感激されていた。 1991年 7月5日 雨。風10〜15MPH。海上は白波が見えて荒く寒い。 夏になったので、今日からウォッチングは平日を含めて1日2往復運航される。(ところが今日は寒い。) ボランティアは、グレンの代わりにミッシェルが加わり、マルカスと3人、ミッシェルも船に酔うそうだが、私が時々使っているスコポラミンは、体重が軽いので薬が効きすぎ使えないそうだ。彼女は、今時の若者らしく、華奢でちょっと心配だ。 スコポラミンは、アメリカでは酔い止めの薬として結構知られている。直径1.5cm位の、丸いばんそうこうのような薬を耳の後ろに貼っていると「あ、船酔いするの?」などと声をかけられる。日本の代表的な酔い止めよりかなりよく効き眠くならない。 アメリカでは医師の処方箋が必要で、せいぜい1度に1週間分位しかもらえないので、「この天気は危ないぞ」とか「今日ははずせない」と思われる時しか使えない。 ただ、ちょっと副作用がある。 私の場合、のどがからからに乾く。それのちょっとやそっとの乾きではなく、言葉がうまくしゃべれない位に口のすべてが乾くのだ。 だから、売店に行って、ジンジャーエールを失敬してステーションでちびちびのみながら働いている。 日本でこんな態度で働いていたら、「不謹慎な」といわれるかも知れない。 人によってはめまいがする人もいるらしい。 ブルースやクルーのように船底を突かれるように船が揺れる荒れた海で、平然として歩き回り、船酔いの乗客の世話をして回る、なんて、カッコいいことを、私もやってみたい。そのためには、船酔いに効くといわれるものは何でも試している。 生姜のカプセルはナチュラリストのリサがお勧めで、早速、ナチュラルフードのお店で生姜のカプセルを買った。 指圧を利用した、直径1cmくらいの小さなプラスチックの球を船酔いに効くツボに置いて押さえる手首バンドも試したが効果はなかった。 今のところ、スコポラミン以外には、塩味のきいたおにぎりをしょっちゅうぱくついて、気分が悪くなると早いうちに外に出ることが一番効果があるような気がする。 だが、忙しいときはそうたびたび休憩もとれない。そういうときに限って、子供からタッチングプールから小動物を取り出してくれと頼まれたりするが本当はかなりつらい。バケツの海水も、船と同じに揺れるからだ。 ただ、早くステルワーゲン堆に着いてクジラが現れ、ステーションの仕事から解放されるのを待つしかない。 いくらボランティアといっても、いつも船酔いで働けないと申し訳ない。 ただ1つ船酔いする今の私の”ウリ”といえば、船酔いしているお客さんが、今何をして欲しいか、よく理解できることだ。気分の悪そうな乗客には着込んで体を暖かくして、デッキに出て背中を船室の外壁にしっかりつけて座り、遠くの水平線を見つめること、塩味クラッカーを食べること、眠ることを勧める。 あまり同情されて、話しかけられたり世話を焼かれるよりは、むしろほっといてくれた方がいいこともある。 「治ったよ」と後でニコニコ話しかけてくれるお客さんもいる。 今日は海が荒れたので、ミッシェルはボランティア初日から船酔いしてしまった。私も、余り気分が良くない。 やさしいマルカスは、ひとりでせっせと働き、「しょうがないな」という感じでニコニコしながら時々、情けなく並んでデッキに座っている私たちの様子を見に来てくれた。 今日はザトウクジラとミンククジラが見えた。 酔っていてそれしか書くことができない。 帰りは、地下鉄の駅まで、マルカスと歩いた。 彼は、南アメリカの出身で、学生かと思われるほど若いが、実は働いている。 このところ、職場のボスににらまれていて、クビになりそうだ、と話していた。 「あなたのようないい人をなんでクビにするの?」と言ったら、「休み時間に寝ていたから。これから友達とコンピュータの会社を作ろうかと考えているんだ。」と答えた。 それもいいかも知れない。アメリカなら、アイディアとやる気があれば、夢の実現は不可能ではないと思う。 1991年 7月12日 29℃。海上穏やか。乗客少ない。 今日は、普段より大きなタイドプールに体長15cm位の幼年ロブスターがいた。ロブスターを持つのはお手のものなので、ひょいと体をもちあげて乗客に説明する。 乗客に小動物の説明をするときは、だいたいその動物を持ち上げて説明するが、はさみのあるロブルターやカニは、5本の指で後ろから素早く掴むのがコツだ。そうすれば、はさみを振り上げるロブスターも全然こわくはない。 でも注意を怠っては行けない。一度だけ、エドジャートン研究室で体長30cm位の母親ロブスターのはさみに輪ゴムをつけようとして、はさまれたことがある。さすが、大きいと力が強く、血が出ていたかった。 それでもバンドエイドをまいとけばすぐに治ったが、もしこれが、コールドマリン(寒帯生物の展示)にいる体長60cmのジャイアントロブスターなら、それぐらいではすまない。 ロブスターは、条件さえ整っていれば、いつまでも脱皮して大きくなる。このロブスターは推定50歳で、はさみは人間の腕より太い。 ジャイアントロブスターの体をきれいにするときは、一階トロピカルギャラリー(熱帯生物の展示)の飼育係のスティーブが上がってきて後ろから体を押さえ、マイクが体を拭いた。 ボランティアには、危険だからやらせられないのだろう、私は横でじっと見学していた。 ロブスターやカニのはさみ、ヒトデの腕は、傷ついてとれると再生する。 でも再生するには数ヶ月から数年かかるので、やはり、大切に取り扱わなければならない。 水族館のタイドプールでも、ボランティアや職員が指導して、あまり小さい子にはデリケートな動物は触らせず、貝などを勧めたり、手のひらを開いてもらってその上にヒトデをのせるくらいにしている。 ところが途中、船が大きく揺れたときに大洪水。 水槽を置いていたベンチがびしょ濡れになったので、せっかくのロブスターの展示もあきらめることにして、航海途中で手放すことにした。 たまたま水槽のすぐそばには乗客がいなかったので、誰も濡れずにすんだのは幸いだった。 今日のザトウクジラは、1頭が5〜6回ブリーチングを繰り返した。 フィーディングも、6〜7回、海面のあちこちでクジラの出す泡が見えた。 クジラの行動には、研究者がいろいろな解釈をつけている。 ブリーチングには、荒れた海では他のクジラとコミュニケーションがとりにくいため、体を使って大きな音を出し、コミュニケーションするという説やシャチなどの天敵から逃れるため、体に着いたフジツボやクジラジラミを取り除くためにジャンプする、等の説がある。 素人目にも、そばにいるクジラや、ボイヤジャーが気に食わなかったりしてブリーチングしているのかな、と感じるときや、面白がってブリーチングを繰り返す子供のクジラなど、なんとなくブリーチングする理由が理解できるときもある。 ステーションにやってきた乗客の中に、セミ鯨の里親になっている方がいて、話をした。 水族館のネズミイルカ調査船が1980年、それまで捕鯨によって絶滅したと考えられていた北大西洋セミクジラを発見したのを機に、セミクジラの生態調査を開始した。 その調査費用に充てるために、セミクジラの里親制度があり、里親になると、一般的なセミクジラの生態と共に、自分の里子クジラがどのような体の特徴で個体識別(体にある特有の模様や傷、形によって識別し、特定のクジラの歴史を追うことができる。セミクジラの場合は、主に、頭部にあるカロシティー=イボの模様で識別)されているか、「今年は、里子クジラはこんなことしてました」というニュースを知らせてもらえる。 私も、アマンダという1頭のセミクジラの里親になっている。 2人で自分の里子クジラの話をしていると、別の乗客で学校の先生だという方がやって来た。 興味がありそうだったので、住所をきいて里親パンフレットを送ることになった。 1991年 7月19日 36℃。海上は穏やかで気持ちがいい。 ザトウクジラ10頭とミンククジラ1頭を見る。 ザトウクジラは、2頭がバブルネットフィーディングしていたが、アラスカなどで見られる豪快に口を開けたクジラが、小魚が辺り一面飛び跳ねている海面に頭を出すのとは違って、泡の中に現れた頭は、もうほとんど口を閉じた状態で、そのまま横に倒れる。 フィーディングより、小さなブリーチングで頭の部分だけ見えるような格好にちかい。恐らくは、ザトウクジラの餌となる魚が、海底にいるか、海面近くにいるかなど、の違いによるのだろう。 また、キックフィーディングという行動も見られた。 これは、クジラが海中で空気を吐いて、泡のカーテンを作るところまでは同じだが、できた泡の中に、普段呼吸時に浮上するときのように斜め上方向きに現れ、くいっと背中を丸めて潜る格好をした後、上げた尾をそのままの格好で斜めに引っ込める。 おそらく、キックすることで魚を脅かして集めているのだろう。 セミクジラと同様、北大西洋のザトウクジラも、個体識別されている。 ザトウクジラの場合は、尻尾の形や模様、傷、色などが主な材料になる。 ザトウクジラは潜るときにたいてい尾を持ち上げるので、研究者はその時に写真を撮って識別に使う。 船内のクジラのステーションには、これまで個体識別されたザトウクジラの名前と経歴、尾の写真が載っている。 ナチュラリストは、よく知られるザトウクジラについては、解説時に名前で紹介することもある。 今回フィーディング中のクジラは、ソックアイとサンダイアルだ。 キヨーテを含む2〜3頭は、ブリーチングを何度も繰り返す。中には、子供のクジラもいた。 このほかに、ミンククジラのブリーチングも見た。これはかなり珍しい。 遠かったので、乗客全員が見えたかどうかは疑問だが、ミンククジラのブリーチングは初めてだ。 遠目に見てもザトウクジラよりスリムだし、長い胸びれも見えなかったので、ザトウクジラではないと思った。 ミンククジラの特徴である胸びれの白いバンドは見えなかったが、シンメンがあとで、「ミンククジラだった」と教えてくれた。 遠かったので、彼は乗客に知らせなかった。 このクジラはたった2回だけ、ブリーチングした。 1991年 7月26日 風10〜15MPH。海上穏やか。途中から霧がかる。 今日から出発の時間帯が、10:00〜と16:00〜に変わった。16:00〜のは、サンセットクルーズだ。 「夕陽に向かって沈むザトウクジラの尻尾」は、見たい”クジラのいる風景”の1つだが、夕焼けの時間帯にウォッチングに行く機会がない。 ボストンに来て以来、ほとんど毎日、好きなことをやっているが、自分に稼ぎはないし、洗濯掃除、食事の用意はしないと申し訳ない、という殊勝な(?)心がけもあって、私はサンセットクルーズには参加できない。 そういうわけで、今日からは、10:00〜の便に乗る。 ボイヤジャーの停泊するすぐ横に仕掛けた、ロブスター用の罠は、80cm×30cm、高さ30cmほどの大きさの金網で、中にはいったロブスターがでられないように、内向きにすぼんだ入り口がついている。 ボストン湾ではロブスター漁に使われているが、私たちには、タイドプール(といっても船の中なので透明なバケツなのだが)の小動物を採集するのに使っている。 今日は罠に、長さ60cm胴回り12cmほどの大ウナギがかかっていた。 こんな大きいのは日本でもお目にかかったことがない。 リサや他のボランティアは、気持ち悪がって敬遠していたが、私は、コールドマリンのタコをはじめ、この手のぬるぬる動物が大好きなので、何とか持ち上げてバケツに移そうとしたが、つるつるして捕まえどころがない。素手では難しかった。 何度も試みたおかげで、リサたちからは尊敬の眼差しで見られた。 残念ながらウナギは、タイドプールで乗客に称賛(敬遠?)される機会を与えられないまま、コールドマリンの「ボストンハーバー・ナウ(現在のボストン港の状態を模倣した水槽で、当然、空き缶やゴミも飾ってある展示)行きになった。 コールドマリンには、ボストン湾のコーナーがあって、下水処理の実体、エドジャートン研究室でモニターリングしているボストン湾の汚染状況報告、「ボストンハーバー・ナウ」と「ボストンハーバー・フューチャー(理想のボストン港)」の水槽展示がある。 よく、コールドマリンで働いていて、「この水槽って本当に汚い水を使ってるの?」と「ボストンハーバー・ナウ」の展示の前でお客さんに訊かれるのだが、もちろん、汚れたように見せかけているだけで、水は他の展示と同じ、きれいに濾過されたボストン湾の海水を使っている。 下水の処理方法には程度によって、石や枝などの大きなゴミから水面に浮かぶ小さなゴミまでを取り除き、泥や残ったゴミを含む汚水を塩素処理する第一次処理から、重金属(水銀など)や有機塩素系化合物(PCBなど)のような人体や生物に影響を与えるものを電力とカーボンフィルターで取り除く第3次処理がある。 大人口を抱えるボストン市では、まだ、第1次処理しか行ってないが、水族館で使う海水は、ボストン湾の海水を濾過して用い、使用後は第3次処理まで行って湾に戻している。 今日は、日本人親子の乗客がいたので、座席にポスターを持っていって、見られるクジラや行動について説明した。 仕事でワシントンからニューヨークへ行く途中で、ホエールウォッチングの話を聞いて来られたそうだ。 子供のザトウクジラが海草を頭にのせて遊んでいる。今日のナチュラリストのリサが、「科学者は、それぞれのクジラの行動に理由を見つけだそうとしているけれども、クジラを見ていて特に、子供のクジラの場合、どうみても遊んでいるとした思えない時があります」と、話している。 子クジラは、楽しそうに頭に海草をのっけては潜ったり、頭を突き上げたりしていて、微笑ましい。 キックフィーディング中のザトウクジラ6頭の中には、キヨーテがいた。 ザトウクジラは今日は、全部で12頭見えた。他にミンククジラ1頭、ナガスクジラ1頭。 クジラのステーションにある顕微鏡で、タイドプールから海水を少しとってみると、クラゲのポリープやエビのような形のプランクトン、ゴカイなどが見える。 ウォッチング途中より霧がでてきた。アパートに帰りついた後、雷雨になったので、今夕のサンセットクルーズは中止になっただろう。 1991年 8月2日 34℃。風10〜15MPH。海上非常に穏やかで見晴らしがよい。 シンメンは、ボランティアや乗客の教育に熱心で、ボイヤジャーで、船上クジラ教室を開く。 シーズン前に行われたボランティアの講習会も、彼が主になって行ったが、今日は、その時に説明できなかった「ボストン海域に、いつもはいないが時たまやってくる鯨種について」の資料を配って話してくれた。 シャチは、ハクジラのなかではマッコウクジラに次いで大型で、」他の鯨種をも餌にするが、ステルワーゲン堆で見えてもおかしくないそうだ。 ゴンドウクジラは、ほとんど真っ黒い体のハクジラで、ほんの時たま見えるが、いつもはもっと沖に生息するので見えないらしい。ゴンドウクジラ(英名パイロットホエール=水先案内クジラ)の名は、猟師が、このクジラのあとをつけると魚が見つかるのでつけた名前だそうだ。 ネズミイルカは、イルカの中でも小型で、ステルワーゲン堆よりもっとボストン港側で見えるが、グレーの背びれしか見えないので、見つけにくい。 ボストンと同じマサチューセッツ州が出発の地となっている「白鯨」の主人公のマッコウクジラは、深い海域を好むので、ステルワーゲン堆のような浅いところでは通常見られない。(ただ、現れることはある) ステルワーゲン堆では、このところ、姿を現すクジラの頭数が増えてきた。 今日も、ザトウクジラ15頭、ミンククジラ2頭、ナガスクジラ1頭、および、カマイルカ4〜5頭飲むれが3カ所。 ザトウクジラは、潜る以外の行動は見せなかった。尻尾の縁から水を滴り落としながら今まさに潜らんとするクジラの写真は、絵になるし、タイミングさえつかめば誰でも結構うまく撮れるものなので、カメラを持った乗客の方には、よくその話をする。 ザトウクジラは、深く潜る前、背中を通常よりくいっと鋭角に曲げる。それにつづいて、尻尾がゆっくりと上がって来るので、「背中がくいっと来たところでカメラを構えてください」と話す。 ウォッチングが終わって、「とてもよい写真が撮れた」と喜んでステーションに来られると、私たちも嬉しい。 ブリーチングの場合は、クジラがどこから出てくるのか見当が付きにくいので、撮影はちょっと難しいが、クジラの中には何度もブリーチングを繰り返すものがいるので、次のブリーチングに備えて構えて待っている方法はある。 ボランティア仲間のブルースは、自分が4年間撮影してきたというスライドを私たちや乗客に見せてくれたが、ブリーチングのきれいなスライドもたくさんあってうらやましい。 彼によると、ブリーチングの場合、シャッタースピードを速くするとよく、他の行動は、普通のシャッタースピードで撮っているそうだ。彼には次にどの辺りでブリーチングするか、割と予測が付くといっていた。 1991年 8月9日 25℃。曇り。帰港間近になって小雨になった。風10〜15MPH、海上穏やか。少し寒い。 今日のシンメンの講義は、タイドプール(潮だまりの生物)について。カニのオスとメスの見分け方は、お腹側下方の甲羅が三角形に区切られた部分で行う。三角形が細いのがオスで、幅広いのがメス。メスは、この部分に卵を持つので、大きいのだそうだ。 今までウォッチングでボランティアとして働きながら、カメラ撮影してもいいものかどうか迷って、持参していなかったが、ブルースはじめ、他のボランティア仲間やナチュラリストのシンメンもカメラを持っているし、乗客の邪魔にならない程度ならいいんじゃないかと思って、今日はカメラを持ってきた。 ただ、ウォッチング中は、ナチュラリストが話をするし、写真を撮りながらでも仕事はできそうだ。 ボランティアの規則で、撮った写真は無断で販売・出版はできないが、そこまで心配するような写真が撮れればたいしたものだ。 シンメンの、「前方11時の方向にブリーチング中のクジラ」のアナウンスがある。 早速、2階に上がりブリーチング中のクジラを撮ってみる。 私が初めてカメラを持ってきたことに気付いたシンメンは、「まだまだ、近づいてから撮らなきゃ」といった。 私には、シンメンやブルースのような「いい写真を撮る」余裕はなくて、とにかく、クジラのブリーチングしている(たとえ写真の中ではそうと分からないほど小さくても)自分の写真が欲しい一心だ。 シンメンの忠告も聞かずに夢中でシャッターを押した。 ブリーチ! カメラは旦那が研究用に使っているのを借りたもので、100ミリ程度の小さな望遠がついている。 それでも、後から見れば、長さ1cmくらいのブリーチング中のザトウクジラが写っていて、私は充分に満足した。 うち1枚は、クジラがボイヤジャーに近かったので、本当なら3cmくらいにはなりそうなブリーチングの写真だったのだが、惜しくも、お客さんの頭でクジラの下半身が隠れてしまっていた。 ウォッチング中は、だいたい2階にいた。 実は、ホエールウォッチングガイドになる前年に、旧ボイヤジャーに乗ったとき、2階にいて船酔いしたことがあって、「2階は揺れる」おそれを捨てきれずに余り来たことがなかったのだ。 今年、水族館は船を買い換えて、新しいボイヤジャーUは、少し大型で、以前経験したような揺れはもうないようだった。 それに、2階はエンジン音も少なく気持ちがいい。2階にはデッキの前方部に操舵室があり、その上にある最高階の3階部分は、ウォッチング中の操舵とナチュラリストのためにあり、クルーのみが上ることができる。 旦那の義理のおばさんにあたるK子さんとその友人Mさん、息子さん(つまりだんなの従兄弟)が、ボストンのアパートに短期滞在しアメリカ生活を楽しんでいるので、今日は、ウォッチングに招待した。 先ほどのクジラが10回くらいブリーチングを繰り返したのを始め、フリッパースラッピングも見られ、K子おばさんは「すごくて写真も撮れなかった」と言っていた。 Mさんは、船に酔うかも、ということだったので、スコポラミンを差し上げた。後で、少し目が回ったと言っていた。 息子さんは、高校生で、お年頃のせいか、それとも2人のよくしゃべる女性(失礼!)の間にはさまれてか、余りしゃべらない。 エドジャートン研究室で私がこの頃始めた、アフリカの淡水魚の世話を手伝ってもらったこともある。ロブスター室の説明は、そこのボランティアで彼と同じ年頃の女の子に、英語の勉強もかねてやってもらった。 あちらでは潮吹き、こちらではダイブ 普段はあまり多数で群れないザトウクジラが、5〜6頭のポッド(クジラの群)であちこち見えたのも、素晴らしい光景だった。 ステーションは、子供で賑わった。5、6歳〜小学生くらいのこどもは、好奇心の固まりだ。 クジラの本を持った男の子が、何度もステーションに質問に来る。 「クジラは一日にどれくらい食べるの?どれくらい食事に時間をかけるの?」「どうしてマッコウクジラは深くもぐれるの?」「シロナガスクジラは見えるの?」等、質問も一般的なものから特定のクジラのものまで様々だ。 おそらく、学校や本で、クジラのことを勉強しているのだろう。 この年頃の子供たちが団体で乗船してくると、必ず1人か2人、クジラの豆博士がいて、いろいろなことを訊いてきたり、中には自分で書いたレポートを見せてくれたりする子もいる。 1度聞いた説明はすぐに覚えてしまい、帰路では、私の横に、頼もしい助手ができることもある。 将来の海棲ほ乳類学者の芽を摘まないように、と思うと、こちらもいい加減な受け答えはできない。 ところで、今朝は、「ボストングローブ」紙(ボストンの代表的な新聞)に、悲しいニュースが載っていた。 ザトウクジラのシルバーの訃報だ。 ボイヤジャーにある「北大西洋ザトウクジラ個体識別帳」のなかでも、シルバーは、一目で識別できるクジラだ。 彼女を知らない乗客も、識別帳のシルバーを指さして、「このクジラは?」と訊いてくる。 ちょっと見ると、肉厚で弾力があるために、尻尾の半分が後ろに折れて写真に写ってないようにも見えるのだが、実際は、写真で見えるように、船との衝突事故にあって以来、シルバーには片方しか尾がない。 私は、実際のシルバーに会ったことはないが、個体識別帳のシルバーの履歴は、尻尾を失った後も、子供を産み、孫もでき、片方の尻尾でも十分海で生活していける生命力の強さが誇らしげだった。 そのシルバーの死因は、風船だった。 ザトウクジラは、食事の時、大口を開けて辺りの魚や海水を多量に口に入れる。 そこに風船があれば、それを除去する方法はないし、第一、クジラにとってそんなものが海に存在するはずはない。 喉につかえた風船は、シルバーがそれ以上餌を食べることを拒否し、飢えによって、ゆっくりと彼女を苦しめながら死に追いやっただろう。 解剖で見つかった風船には、「Happy Birthday」と書かれてあったそうだ。 誕生日を祝った人間の手を離れた風船が、大空の中、行方を見守る人間たちの視界から消え、風に乗って海に運ばれ、やがてそこに生活する動物たちの元にやってくる。 ステルワーゲン堆には、様々な経路でやってきた人工物がたくさん見られる。 ペットボトル、缶ジュース、スーパーの袋など、人間が、やがては大海に出て拡散してしまうことを期待して流したゴミは、ボストンから1時間半のこんな近くに、未だ人恋しそうに溜まっている。 人間は罪な動物だ。 風船を飛ばしたのは故意ではない。しかし、誰もが、どこかで、知らない内に、他の生物に悪影響を及ぼしている可能性がある。 せめて、その可能性をできる限り多く知り、悪影響を最小限にしたい。 それは生物がお互い依存しあって生きている地球上では、巡り巡って自分たち自身のためでもある。 ナチュラリストのリサは、この日以来、レパートリーに、シルバーの話を取り入れるようになった。 ちょっと半端な、スパイホッピングのようなブリーチ。 左右のふくらみの部分に目がある。 1991年 8月16日 33℃。風10〜20MPH。海上穏やか。 昨日のウォッチングが雨でキャンセルだったせいか、今日は乗客が多い。 今日は、ザトウクジラを16頭見たが、朝方餌を食べた後で、うち14頭は寝ていた。 寝ているクジラは、海面でじっと動かず、時々息をする。 船がそばにいるのにハッと気付いて(そのように見える)潜ることもある。 ナチュラリストは、相手が寝ているクジラで話題性がない場合も、ウォッチング中は話を続ける。 そういうときはたいてい、ステルワーゲン堆とクジラの関係や、環境問題、クジラの生態一般についてなど、それぞれのナチュラリストによって得意な方面に話が広がる。 そうすると、しばらく見ていると飽きてくるようなけだるいクジラも、興味深く見ることができるし、クジラや海を観察しながら聞くナチュラリストの話は同時性があり、頭に入りやすくためになる。 クジラは寝ているとき、左右片方ずつ脳を休めるという説がある。 イルカでは実験ですでに確かめられているが、クジラの場合、実験するわけにもいかないので、あくまで、「説」なのだ。 どうして、片方の脳しか一度に休めないのかというと、それは、クジラが水中に住んでいる哺乳類だからだ。 魚と違って、クジラやイルカは、呼吸のために水面に浮上しなければならない。 又、水中では、水が入ってこないように呼吸口(鼻の穴)を閉じておかねばならない。 私たち人間は、無意識に呼吸しているが、水にすむクジラは、意識的に鼻の穴をあけたり閉じたりして呼吸する。 起きているほうの脳が呼吸を司っているおかげで、クジラは寝ている間も溺れずにいることができる。(人間から見るととってもやっかいそうだ。) 1頭のザトウクジラは、ブリーチングとテールブリーチを1度ずつ披露したらしいが、私を含めた多くの乗客には見えなかった。 ザトウクジラのうち、今日識別できたのは、イークォル(2歳、尻尾に”=”の印がある)とキヨーテ。 ボストンに帰る途中、60頭くらいの、カマイルカの群が、クロマグロを追っている姿を見た。 カマイルカ 同じくカマイルカ 日本人の親子3人連れがいて、尻尾の「シャッターチャンスについて説明する。 その後、ステーションに来られたので、捕鯨のことなど話す。 海の上では誰でも気持ちが広くなるに違いない。地上ではなかなか心を開けないようなことでも、素直に話し合うことができる。 1991年 8月23日 30℃。風10〜15MPH。海上少し波あり。 こんなプレジャーボートも 「ハリケーン・ボブ」で前回のホエールウォッチングがキャンセルだったためか、乗客は多かった。 ステルワーゲン堆で、ぽっかり浮かぶマンボウを見た。 船の上から見ると、細い背びれの先端だけ水面から出て浮かんでいるが、少し近寄ると、海面下の白い斑点の物体が少し分かる。 英語名は「オーシャン・サンフィッシュ」だが、水族館では学名の「モラ・モラ」の方が愛嬌があるため、好んで使われている。 もう1頭、ゴマフアザラシの珍客も見えたが、緊張しながらも興味深げに時々こちらを振り返ってゆっくりと船から離れていった。 ゴマフアザラシは、本来は、もう少し南で見られるらしい。 ザトウクジラは、全部で10頭いたが、うち、1頭は、何度もフリッパースラッピングを繰り返していた。ロブテーリングもあったようだ。 フリッパースラッピング 空に向かって突きだしているのが2本の胸びれで、その右にあるのは尻尾。お腹を上に仰向けになっている。 日本人親子とカップルが乗船していたので、少し、クジラの話をして、「よかったら後でステーションに遊びに来てください」と声をかける。 ステーションで、クジラの骨や種類について説明した。 シンメンが、自分で撮った写真をたくさん持ってきていて、それが乗客の間で人気だった。 どれくらいかかって撮ったのか、ちゃんと焦点のあった、フレームいっぱいに写ったクジラの写真ばかりが、こんなにたくさんあってうらやましい。 船室内の乗客が多くて、コーヒーやホットドッグのにおいが立ちこめてくると、どうも私は弱い。 今日は少し酔ってしまった。 今日の写真のできあがりを見ると、モラモラは5ミリくらいの船(背びれ部分)、アザラシは、3ミリくらいの正体不明物だった。 モラモラの背びれ ゴマフアザラシの頭 ザトウクジラの泳ぐ姿とダイブの写真は結構見られるかな。 1991年 8月30日 35℃。風5〜15MPHだが、海上はとても穏やかで気持ちがいい。 2つのうち、一方のエンジンが故障のため、ステルワーゲン堆まで2時間かかった。 ザトウクジラ15頭とミンククジラ1頭を見た。 ザトウクジラは、遠くで、キックフィーディングとフリッパースラッピングがあったが、近くでは見えなかった。 大型のヒゲクジラは、だいたいいつも、単独か母子、せいぜい2、3頭で行動するが、今日は、どの群れも3〜4頭一緒にいる。 ザトウクジラのソーシャライジング(複数頭で共に行動する) 個体識別できたのは、サンダイアルとクリスタル。 1〜2回クジラがとても近くに来たときは、歓声が上がった。 タイドプールに入れたほや(英名SeaVase=海の花瓶の名の如く、くびれのあるなめらかな曲線の花瓶の格好をしている)は、ボイヤジャーの停泊する辺りの岸壁の水面近くに、小さいのをたくさん見つけることができる。 イソギンチャクと同じ柔らかな感触で、うす茶色の袋のような入れ物の上部に2つの穴があって、これが、口とお尻の穴で、きわめて単純な作りだ。 一方を押すと、もう一方の穴からぴゅっと水が出てくる。 これをやると、皆、「キャッ」といって喜ぶ。 1991年 9月2日 21℃。風10MPH。少し白波が見える。 完璧ブリーチ! サンセットクルーズがなくなり、午前・午後の2便になったので、午後のシフト(14:30〜)に移った。 今日から、月、木曜の週2回、ガイドのボランティアをすることになる。 今日はLabor's Day(日本風に言えば勤労感謝の日)なので、休日でほぼ満員。 旦那もちょうど休みで、クジラの写真撮影に誘い出した。 グレンがボランティア最終日。 彼は、教育部門で、長く水族館ガイドとして働き、職員も一目置く存在だった。 ホエールウォッチングのボランティアとしても、私たちのリーダーとして活躍した。 彼は、アイディアマンで、古いストッキングを利用したプランクトン採集器や、2重ゴム手袋の間にラードを詰めたものをはめて冷たい水を入れクジラの脂肪が体温維持にどれだけ役立っているかを試してもらう方法など、ユニークなアイディアを実行した。 彼は、西海岸の水族館で、今度は、給料をもらって働く。 もう一人のボランティアは、生物学者のカールで、タイドプールの動物たちやプランクトンに詳しい。 午前のクルーズに出たボランティアの話では、海は穏やかだったが、クジラの行動はあまり興味のあるものではなかったらしい。 しかし、午後は、波も出てきて、”One of the best"のウォッチングとなった。 ザトウクジラ10頭とミンククジラ1頭。 ボイヤジャーの両サイドで、2頭のザトウクジラが、まるで互いにコミュニケーションをとっているよかのように、何度もロブテーリングを繰り返す。 研究者によれば、水面で叩く音で、自分の居場所を知らせることもあるようだ。 ロブテーリング(尻尾でパシンと海面を叩く行動)いろいろ 別のクジラは、フリッパースラッピングを何度も繰り返す。 これも、かなり近かった。 左手に高く振り上げたのが、ザトウクジラの特徴である白く、体長の3分の1もある長い胸びれ 胸びれの縁は、ごつごつしている。 人間が背泳ぎしている時を思わせる泳ぎ方だ。 フリッパースラッピングは、海面で仰向けになったクジラが、長い胸びれを空中から海面にたたき落とす行動で、人間が背泳ぎするときに似ている。 こうすることで、餌となる魚を脅かしているとも言われている。 お腹を上にするので、顎のしたからお腹にかけて見られる畝がよく見えた。 畝は、採餌の際役立つ。 畝を何10本ももつザトウクジラやナガスクジラ、ミンククジラは、一度に大口を開けてがぶり(gulp)と餌を捕るタイプで、Gulperと呼ばれている。 餌を含んだ海水を多量に口に入れた時の姿は、畝が開ききって、下あごがお腹の辺りまでパンパンになり、巨大ガエルのようだ。 これに対して、セミクジラのような”Skimmer”と呼ばれるクジラは、海面をゆっくり泳ぎながら、同時に口の中にプランクトンを含む海水を濾過(skim)いくのでさせて、畝を広げて口の容量を一時的に大きくする必要がない。(当然、畝はない。) フリッパースラッピング以外には、クジラが海面に頭を突きだして私たちをウォッチングする、スパイホッピングと、ブリーチングが、それぞれ間近で一度ずつ見られた。 スパイホップして、クジラは海上の風景を確認しているといわれている。 今日も日本人の親子が乗っておられたが、私と話をしている最中に、今日唯一のブリーチングを見損なってしまい、申し訳なかった。見えたのは、クジラの飛び込んだ後の水しぶきだけだった。 今日のザトウクジラは、海が少し荒れているせいか、かなり行動的だった。群れも、1頭のクジラに新たに3頭が加わったりして、かなり流動的だ。 少し海が荒れていたせいか、少し酔い気味。 今日は旦那に写真を撮ってもらったが、ブリーチングの写真は、水しぶきの中、踊るようなクジラの体が完全に海上に出ていて、いいタイミングだった。 フリッパースラッピングは船に近くて、写真枠いっぱいに撮れていた。 ちょっと何の写真かわかりにくいが、逆光の中のフリッパースラッピングもきらきらしていい。 1991年 9月5日 21℃。風15MPH。白波、雨、風で寒い。 ギョロッと?イークォル 火、水曜(3、4日)は、ボイヤジャー修理のためにウォッチングはキャンセルだったそうだ。にもかかわらず、今日の乗客数は少ない。 悪天候のせいか。 ザトウクジラは始めからイークォルが大変なパフォーマンスを見せる。 ボイヤジャーからほんの10mほどのところで、20回もブリーチングを繰り返す。ブリーチングは完全に海上に姿を現すのと違い、胸びれの少し下海上に出して、背中を下にして辺りまで海上に出して、背中を下にして落ちるものだった。 カメラを持った乗客は、喜んでブリーチングするクジラの写真を撮っていたが、あまりに何度もブリーチングするので、それだけではもの足らず、ブリーチングをバックに記念撮影する人まで出てきた。何と贅沢な写真だろう。 今日のお客さんには、ほとんど尻尾しか見えないウォッチング日があるとは信じられないだろう。 当たり前だが、どの日もクジラが見えれば同じ乗船料だ。 イークォルは、ブリーチング以外にもロブテーリングやフリッパースラッピングを3回ほど見せた。 ロブテーリング クジラの見えるうちは何とかもたせたかったが、かなり酔いが来ていて、ひとしきりイークォルのパフォーマンスが終わってからは、2階に上がって雨をしのげるビニールカバーの屋根の下で座っていた。ブラウスの上にトレーナーとジャンパーを着ていたのに、寒くて震えるほどで、雨はますますひどくなり、気分もますます悪くなり、惨めだった。 今日初めて一緒に働いたボランティアのレオは、私の父くらいの年齢だが、背が高くがっしりして、「自分の妻も船に酔うから、いつも自分が世話してるんだ」といって、仕事の合間をぬって2回、温かい紅茶を、時々ドンと波のぶつかる甲板の上をこぼさないように気をつけながら持ってきてくれた。 レオが、日本人のお客さんを紹介してくれたので、気分が悪くて余り話のできる状態ではなかったが、少し話をした。 30歳くらいのアメリカ在住のその男性は、8歳から18歳まで日本で育って、来週再び日本に帰るのだそうだ。将来は、自然写真家をめざす建築家だと言った。 2人で、捕鯨について話したが、もっと多くの日本人に、生きたクジラを見て欲しいというのが私たちの一致した意見だった。 誰だって、スーパーで売られている食肉として加工されたクジラしか見たことがなければ、クジラを食料との結びつき以外では考えにくい。 個々の日本人が、捕鯨か反捕鯨か、決断を下す前に、生きたクジラを見たって、損はないだろう。 むしろ、いろいろな立場からクジラを見なければ公平な判断はできないと思う。 彼は、日本の友人にクジラの写真を見せるといっていたが、今日は、イークォルのおかげできっといい写真が撮れただろう。 2階に上がってからは。、クジラを見ていないが、ザトウクジラは全体で6〜7頭現れたらしい。 イークォルの目のところには、白い小さな模様があって、それがちょうど、ギョロッとこちらを睨む白目のように見えているのが、愛嬌のある写真になった。 |
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