タドサック / ニューイングランド 1 2 3 4 5 6 7 8 セミクジラ研究室 1 2 / リュベック 1 2 3 BBS / Blog / ホーム |
ホエールウォッチング 1991年 9月12日 21℃、風10MPH。海上は少々荒れているが、晴れていて気持ちがいい。 昨日のウォッチングは、高波のためキャンセルだったが、今日の乗客数はそれにも関わらず少な目。 10頭くらい現れたザトウクジラのうち、2頭が、遠くで1度ずつ、ブリーチングしたが、遠すぎてほとんどのお客さんは見てないだろう。 1頭が何度もフリッパースラッピングを繰り返したが、残念なことにこれも遠かった。 今日は、クジラが忙しい。 泳ぐスピードが速く、潜るときも尻尾が完全に上がらない(つまり、浅い潜り=shallow dive)時が多い。 船から離れて行動している。 ナチュラリストのスコットと仕事の合間に捕鯨の話をする。 彼は、私より1回り若いが、クジラや環境問題についての知識が深く、落ち着いた、金髪混じりのブラウンの髪に涼しい目の好青年だ。 最近、クルーからナチュラリストに昇格したスコットも、シンメン同様、親切で気易く、自分の仕事場の2階から、よく私たちのところへ降りてきて「どう?」と訊いたり、乗客と立ち話をしたりするのを楽しんでいる。 「アメリカ人は反捕鯨派」と考えている人には意外かも知れないが、スコットもリサも、ホエールウォッチングという、専門用語で言えば「クジラの持続的利用可能」な仕事をしている割りに、かちかちの反捕鯨派ではない。 2人とも、「クジラはどんな味がするの?」と私に訊いてくる。そう訊かれても、クジラを食べていたのは遠い昔のことで、グルメ評論家でもない私は困る。彼らはクジラが好きだが、クジラのことは何でも知りたいという、好奇心の方が先なのだ。 私は、「クジラを食べる」ということを頭から寄せ付けない行動より、ずっと人間的だと思う。 現場にいる人間の方が、机上でものを考えることがおおい自然保護団体の人間より、より現実を見つめている。 ただ、「クジラを食べるなんて考えたくもない」という人もいることはいて、彼らのように、実際に鯨肉を食べてみたい、とまで考える人は、恐らく少数派だろう。今までに、クジラを食料として見たことがないのだからしょうがない。 日本で、鯨食文化を守ろうと、鯨肉を使った料理でパーティーが開かれた記事を読んだことがあるが、これは、クジラを食べたことがない国の多くの人たちにとって、あまりに過激で、鯨食文化への理解を促すための手段としては、どんなものかと思う。 ご馳走を用意してくれた人への礼儀としてか、あるいは、何でも食べてやろうと好奇心で箸を出す人もいるだろうが、特に、クジラに知性や神秘を感じている人たちは、おそらく、拒絶反応を示すだけだろう。 ちょうど、インド人に、彼らが神聖名動物として食べない牛を、食べろと言っているようなものだ。 その肉を、嫌がっている人の前(あるいはそういう人が見ているテレビの前)で食べて見せるという考えは、繊細さに欠ける。 嫌がらせでしかない。 スコットは、「商業捕鯨が再開ということになると、日本が商業主義(つまりエスキモーのように自分たちに必要な分だけ捕るのと違って)に走ることを恐れているんだ」と言った。確かに、頷けることもある。 日本人は、結構、団体パニックに陥りやすい。 何かブームがあると、わーっと群がって、潮が引いた後には何も残らないイメージがあるようだ。 変なたとえだが、日本から来る観光客はその土地の生活を楽しむというより、観光はそこそこでむしろ買い物に来ているような人が多くて、宝石や洋服、ジュエリーの有名店にはたいてい日本人がいる。買い方も凄い。 為替レートや関税、物価の関係からだろうが、こちらの経済感覚で住んでいるものにとっては、すさまじいと感じる。 それにこちらでとれる海産物も、あちこちでかなりの量が日本に行っているらしい。 私たちが初めてクジラを見たカナダの田舎町、タドサックででさえ、そんな話をしていた。 「金に任せて日本人が根こそぎ持っていく」「という恐怖に似た感覚が起こってくるのは止められない。 そんな調子で、76万頭いると日本が主張する南氷洋のミンククジラを捕ったら、たちまちのうちに絶滅の危機に瀕してしまうかも知れない。 クジラと買い物とは違う、といいたいところだが、アメリカに住むアメリカ人にとって、観光に来る日本人も、輸入業者も、クジラを食べる日本人も同じ日本人だ。 要するに、日本が商業捕鯨を始めるなら、今までの日本人感をぬぐい去るに充分な、「絶滅させない」手段を講じる覚悟がいる。 私は、スコットに、エスキモーが鯨肉を売っているらしいことを話した。 旦那の友人で、やはりアメリカに来ている日本人が、アラスカへ旅行したとき、エスキモーから、鯨肉を買っている日本人を見たというのだ。 又聞きだから、断定はできないが、もしそうなら、エスキモーたちで食べる分だけを捕る(生存捕鯨)ではなく商業捕鯨になってしまう。 鯨食文化をもつ民族が、自分たちで食べる分だけを捕る、というのが、原住民捕鯨の原則で、この点が、IWC(国際捕鯨委員会)で日本の沿岸捕鯨が生存捕鯨と認められないところなのだ。 それにしても、鯨肉を買った日本人とはどういう人間だったのだろう。 単に好奇心から買ったのか?それとも商売として買っていたのか? どういう身分の人間なのか?気になるところだ。 この辺りも、日本が商業捕鯨を再開する前に解決した方が良さそうだ。 今日も日本人が乗船していた。 カップル1組と女性がひとり。 カップルの方たちと少し話をしたが、クジラが見える時になって、女性の方が酔ってしまったみたいだった。 私もそうだが、車に酔ったことがないので、船にも酔わない思って乗船される方が割といる。 残念ながら、一旦酔ってしまうと酔い止めの薬は効かない。 塩味クラッカーが食べられるといいが。せっかく日本から来られたのに、気の毒なことだった。 1991年 9月13日 21℃、晴れ。風10MPH。海上少し揺れる。 乗客数がまあまあある。 日本では、春秋に遠足の季節があるが、アメリカでも季節があるのだろうか。 5、6月頃は学校からの団体が多かったが、夏以降はない。 今日は久しぶりに団体が入り、ステーションが賑わった。久々にボランティアが3人いてよかった。 ザトウクジラ10頭。 ザトウクジラの背中 ザトウクジラとウォッチング船 ステルワーゲン堆についた頃は、クジラは、昨日のように、速いスピードで移動し、潜るときには尻尾も余りはっきり見せなかったが、やがて、ティアーがブリーチングしているところへ移動した。 ティアーは、ブリーチングを10〜20回、ロブテーリングを10回ほど繰り返した。遠くでは、フリッパースラッピングしているクジラも見える。 ティアーのブリーチング様々 ブリーチングの時に、ティアーの調子に乗せられてだいぶ写真を撮ったので、ロブテーリングを始めたときにはフィルムが残ってなかった。 ナビゲーションのステーションには、船の現在地を示すローランの横に、魚群探知機(Fish Finder)がおいてある。ずっと作動していなかったが(もちろん2階で実際に使われている魚群探知機はちゃんと動いている)、やっと作動するようになった。 海面と海底の線が画面にオシロスコープのように映り、その間にいる魚の群が白く映る仕掛けだ。画面についている目盛りで海底までの距離や海底の形も分かる。 旦那の両親と妹夫婦がボストンに来ていて、今日のウォッチングは義父母と一緒だった。 他に、日本人の女性の2人連れも2階におられたので、ポスターを持って上がって一緒に今日見えるクジラの説明をする。 話をしていると、次第に聴衆も増えてきたので、2階の方でしばらく、質問に答えたりしながらクジラの話をする。 その後、女性は酔ったらしく、1階で寝ていたが、後で訊くと、ブリーチングはしっかり見られたそうだ。 私も酔いかけたが、大丈夫だった。 ボストンの町 1991年 9月19日 公式には26℃だが、悪天候に伴い急速に低下したと思う。風20MPH。海上だいぶ揺れる。 出港時は曇り、のち少し晴れ間が出て蒸し暑くなり、さらに、帰港途中より急に寒くなり激しい風雨になる。 乗客数は中程度だったが、皆、暖かい一階の船室に集まったので満員状態だった。 高校生の少人数の団体があった。日本のFM局から取材が来た。 ザトウクジラ5頭。 子供のクジラ1頭が、船のすぐ下でスパイホップし、すぐに尻尾を高く振り上げてテールブリーチ(頭を下にして尻尾と下半身を持ち上げ海面を叩く)した。行動を解釈すると、「(スパイホップして)何かな?あ、船か、えいっあっちへ行け(テールブリーチする)と言うところだろうか? FM局のTさんは、はりきってビデオを回して、出発前から2階の操舵室前の船首で船のすぐ下を飛び散る波などを撮ったりされていたので、大丈夫かなと思っていたら、案の定船に酔い、その後、ステルワーゲン堆につくまでは寝ておられた。 しかし、ステルワーゲン堆について「クジラ!」というリサのアナウンスが聞こえるやいなや、飛び起きて中継を始め、その後もクジラが出ると寝ているベンチから起きあがって取材したのには、さすがプロだと感心した。 後で、クジラのステーションを案内した。 昨日は、今回作る番組の前半のために、捕鯨についての討論会の収録が、ボストンのローカルラジオ局で行われ、水族館営業部長のブライアンの推薦で私も出席することになった。 アメリカ人2人(ラジオキャラクターと自然保護団体の職員)日本人2人(自然保護団体のメンバーと私)で、捕鯨は是か非かについて話し合った。 時間が短かった関係もあろうが、ラジオキャラクターの男性の、「クジラは頭がよく、素晴らしい生き物だ。だから殺しては行けない。」のフレーズで終わったのは、さすがプロでしゃべり口は感動的ではあったが、ありきたりでちょっと興ざめだった。 何とも理想論ではないか。 私も個人としては、日本が捕鯨をやめて欲しいと思うが、理由はもっと他に様々ある。 現場の声は違う、と思った。 反捕鯨派にしろ、捕鯨派にしろ、クジラのありのままを見ようとしている。もっと説得力がある。 それに、クジラが頭がよかろうが悪かろうが、そんなことが自分がクジラを好きだという事実に影響するだろうか? このキャラクターは、もしクジラが頭が悪かったら、一転してクジラが嫌いになるのだろうか? 「クジラがもし頭が悪いとしても、それでもクジラを好きでいたっていいだろう?」といった友人のクジラの研究者がいた。 その言葉を聞いたとき、ああ、この人はほんとにクジラが好きなんだなと思って、嬉しかった。 そうなんだ。クジラの頭の良し悪しが問題なのではない。 第一、頭がいいか悪いかなんて、何を基準にして決めるのだろう。 クジラには、その生活に必要な能力が備わっている。人間にはあるのにクジラにはない能力があるとしたって、それは単に、クジラにとってその能力が必要ないだけのものなのだ。逆に、同じ理由で、クジラにあって人間にないものだってある。 すべての動物が、その生活に必要な能力を備えているだけなのだ。 討論の終わった後にも意外なことがあった。 私を除く3人は、完全な反捕鯨派だったわけだが、私たち4人はクジラが大好きなことには違いないと思ってたので、番組収録後、これまで自分で撮ってきたステルワーゲン堆のクジラの写真を見せた。 もちろん、写真集に載るようないい写真ではないが、ボイヤジャーのクルーやお客さんは、いつも、わいわい言いながら見てくれるし、欲しい写真を焼き増ししてあげたりもする。 今回もそういう楽しい一時を楽しみにしていたのだ。 ところが、お義理にパラパラめくって、はい終わり、だった。 さらに「明日(つまり今日)のウォッチングに一緒に行きませんか?」の誘いにも、「タダじゃないなら行かない。この前行ったけど、あんまりねえ」 えっ?この人たち、本当にクジラが好きなの?それとも商売としてやってるだけ?と思ってしまった。 女性二人は、クジラより、自然保護団体についての話にわきながら帰っていった。 やっぱり船酔いはするけど、私には、こうやって船に乗って生きたクジラに会い、クジラ好きのナチュラリストやボランティア仲間、乗客の方々と話をするのが心地よい。机上の理論は好かない。大体、私は目に見えないものを勉強するのは、昔から苦手なんだ。 1991年 9月27日 16℃、晴れ。風10〜15MPH。ウォッチングはなし。 このところ風が強い日が続く。前日、前々日と、キャンセルだったため、乗客数がいつもより少し多い。 前回ボランティアだった23日も、ほとんどステルワーゲン堆まで来ていたが、取りやめになった。 今日も高波で少し揺れる。 ボストンを出て30〜40分沖に行ったところで、遭難船の連絡が入り、救助のため、そちらへ向かう。 現場では、船外機付きの外海には不釣り合いな小さなボートが、高波で半分くらい浸水していて、乗っている二人は、不安そうに立ち上がってこちらを見ている。とても小さな船なので、恐らくはこんなに遠出する予定ではなかったのだろう。 ボイヤジャーに乗っているお客さんも、当然、見ている。 遭難船に向かってブイを投げ、救助に向かうボート(左舷)につけた。クジラを撮るために持ってきたビデオカメラやカメラで救助活動を撮ろうとした人もあったが、ボランティア仲間のジャッキーが止めた。ボートは、沿岸警備隊の船が来て、曳航し、2人はボイヤジャーに乗り込んだ。 この間、30分〜1時間くらい。 ウォッチングは取りやめになり、ボストンに帰ることになった。 救助もウォッチング中止の大きな理由ではあるが、この場所でこれだけ波があると、ステルワーゲン堆の波はもっと高く、ウォッチングをする前に大部分の人が船酔いになってしまうからだ。 リサがアナウンスでウォッチングが取りやめになったことを伝える。 私とジャッキーも、取りやめた旨を乗客に説明して回った。 乗客の中には、不満げな人もいて、このまま救助された人も乗せて、ステルワーゲン堆に行こうと言う強硬派もいたが、おおむね分かってもらえた。 乗客の中に、ザトウクジラの歌を最初に発見したロジャー・ペイン博士の話を聞いてクジラに興味を持ったという日本人親子3人がきておられたが、残念ながら、今日しかウォッチングできる日がないそうだった。日本から来られる方は、たいていぎりぎりの予定で乗船されるので、特に高波の多いシーズン始めや終わりなど、せっかくはるばる来られても、クジラに会えずに帰らなければならないことがある。 せめて、もう2、3日ボストンに滞在して他の計画と入れ替えができるように予定を組んでもらえればいいのだが。 リサが今冬行く予定の、ドミニカ共和国で行われるクジラ調査の話を聞く。私にも行かないかと誘ってくれたので、是非行きたいと即答した。 普段、私は、お尻の重たい方だと自覚しているが、ことクジラのことになると、もう一人の自分が出てくるようだ。 旦那には事後承諾、自分の予定も顧みない、船酔いすることさえ完全に棚の上に上げてしまっている。 夏のステルワーゲン堆で見た、同じザトウクジラと、南に移動したところでまた会って、そこでどんな行動の違いが見られるのか、自分の目で確かめるのは楽しみだ。 もしかしたら、繁殖の時にオスが歌う、有名なザトウクジラの歌も、聞こえるかも知れない。 リサが、その調査船のボスに私のことを話してくれることになった。 1991年 10月4日 21℃、晴れ。風10MPH。 長いゆっったりしたうねりが2秒おきくらいにあるが、静かに晴れて爽快。 乗客数は40人くらい。 このところ、月、木、金曜と船に乗る予定(また1日増やしてしまった)にしているが、キャンセルが多いために、実際はそれほどの乗船数でもない。 今日は、私にとっては久々の出航となった。 昨日の朝、いつものように水族館のホエールウォッチング・チケットブースに電話して出航予定の有無を確認したら、出航は取りやめになったといわれたのだが、今日のスコットの話では、昨日も出航したそうだ。損したなあ。 昨日はロブスター用の罠に引っかかったザトウクジラを発見して、沿岸警備隊に知らせ、救助が来るまでボイヤジャーはそこに滞在したそうだ。 (損どころか大損だった!) ロブスター漁は、ボストン港を出て30分ほどのまだ内海で、空港や町の姿も近く海には沢山の島があって、下水工事も行われている辺りで、盛んに行われている。ボイヤジャーからも、よく、ロブスターをとる長方形の、金網でできた罠を海底に沈めたり引き上げたりしている漁船の姿を目にする。 この辺りのロブスターは、”メーンロブスター”としてシーフードレストランで、1匹$25前後で出されている。 罠にはロープがついて、海上で目印のためのブイとつながっている。 おそらく、昨日のクジラが引っかかったのは、このロープの部分だろう。 ロープが引っかかると罠やブイもぶら下げて、クジラは思うように泳げなくなる。餌がうまく捕れない、天敵に襲われやすい、ロープがさらに絡まったり深く食い込む、溺れるなどの障害が起こる。 このクジラのように、発見されて救助されたクジラは、まだ幸運な方だ。 多くの場合、苦しんだあげく人知れず死に、海岸にも打ち上げられずに、海を漂ってやがて海底に沈んで深海生物の餌となってしまう。 人間の目に触れる被害が、ほんの一部であることを考えると、この辺りに限らず、都会を控えた海域や漁場ならどこでも、人間活動から深刻な影響を受けるクジラが増えていると言えるだろう。 昨日は、その他に久々のミンククジラと、ザトウクジラのソーシャライジング(社会的行動。いつもは単独かその場限りの少数で生活するクジラなので、複数のクジラと行動を共にすることはめずらしい。)が見られたそうだ。 今日は、こちらの学校に留学中の日本人学生が大勢乗船していたが、あまりクジラに興味があるという風ではなく、途中からは、ずっと船室にこもっていた。このくらいの年頃の若者になると、大体、クジラを見ることより、みんなで一緒にいることの方を楽しんでいる。 それもひとつの選択肢ではある。 しかし、日本から勉強しにやってきて、日本人同士かたまるのはどういうことなのだろう? 確かに、海外で生活する者同士、助け合うことは必要だが。 ザトウクジラ6頭。 ザトウクジラのこぶのような背びれ 潮吹き ステルワーゲン堆の遠くで、ブリーチングが見えたが、近寄るとやめてしまった。 コーラルがフリッパースラッピングする。 コーラルのフリッパーースラッピング リサのところに、ラジオのインタビューが来ている。 港に帰って乗客を降ろした後、クジラのステーションでスコットと2人でそのことをうわさしていたら、リサが降りてきた。 番組ができあがったら、局の人がテープをくれるそうなので、2人で、「私たちも聞きたい」とリサに頼むと、「いいよ。でもああいう人たちはウソをつくからね」といった。 どこでもマスコミ関係の人間って自分勝手なところがあるようだ。 日本から先日来ていたマスコミも、「できあがったらテープを送る」と言っていた。「酔って自分用のクジラの写真は1枚も撮れなかった」と悔やんでいたのが気の毒で、その日私が撮ったザトウクジラの写真まで送ったのに、その後、うんともすんとも言ってこない。 ああいう人たちって、相手から情報やものをもらうだけの一方通行を当然と考えるのだろうか。 あの時、ジョン・プレスコット館長が渡したおみやげの、ウォッチングのパンフレットにもなっているクジラのフィーディング写真など、当然のように受け取っていた。同じ日本人に渡すなら、ボイヤジャーの乗客の、クジラの好きな日本人に渡した方がずっと役に立ったのに。 館長始め、ブライアン、ボイヤジャーのスタッフ、私も及ばずながら取材協力したのに、後味が悪い。 私にとっては一緒に仕事をする上で、一番大切なのは、人間関係だ。 どんな仕事をする人でも、人の好意を平気で踏みにじるような人とのお付き合いは敬遠したい。 コーラルとホエールウォッチング船 1991年 10月7日 10℃、晴れ。風15〜25MPH、海上段々荒れてくる。 乗客はたった23名。英語圏外のお客さんが多い。 ザトウクジラ5頭。 巨大なお母さんザトウクジラのスプリンターとその子供がいて、子供はフリッパースラッピングしながら体をローロングさせ、体のあらゆるところを見せてくれた。ロブテーリングもしていた。 スプリンターの子供のフリッパースラッピング ロブテーリング この海域で最初に個体識別されたサルトも子供をつれていて、フリッパースラッピングとブリーチングを見せてくれた。 リサがよく言うように、子供のクジラの様々な行動は、「生きていることはなんて楽しいんだ」とでも言っているような、生を享受している姿に見える。生態学的に説明すれば、子クジラはこれからの生活に必要な行動を、遊びによって”学習している”のだろうが、楽しげで無邪気で、”遊んでいる”と表現したほうがぴったりだ。 「見て見て!」と言ってるようにお腹を出してみせる。向こうの左右にあるのが胸びれで、手前が尻尾 もっとも、子クジラだけでなく、大人のクジラさえ、人生(鯨生?)を楽しんでいるように見えることがよくある。楽しんで生きる姿勢は、私がクジラを(そして、多くのアメリカ人の友人もそうだ)好きな理由の1つだ。 小学校下学年くらいの男の子が、クジラのステーションにやってきた。 英語が分かるものと思って、私はいつものように、クジラの背骨や肋骨の説明をした。 男の子は、ニコニコして私の話を聞いて、説明が終わると、お母さんのいる席へ戻っていった。 後で、お母さんがみえて、スイスから親子で来ていて、男の子は、英語が分からないにもかかわらず、私が説明しているのに途中で場所を離れるのは悪い、英語が分からないというもの今さら悪い、と思って、最後まで聞いてくれたのだと分かった。 「うちの子が、『説明してくれたのは全然分からなかったけど、そのことはあの人に言わないでね』と言ってました。」と私にうち明けてくれた。 この小さな紳士は、このことろマスコミによってささくれ立っていた私の心を、すっかり和ませてくれた。 今日は、午後3時から職員のためのウォッチングがあり、誘われていたが、海上が荒れ気味になり、このウォッチングで少し酔ったので行かなかった。 以前、私がスコットに、日本では、漁の邪魔をするといってイルカを殺すことがあるという話をしたら、今日はスコットから逆に、岸に魚の群を運んでくる、猟師に協力的なイルカの話を聞いた。 イルカも生きていくには餌を捕らなければならないから、どちらにしたって、イルカの人間に対する勝手な解釈かも知れないが。 1991年 10月10日 18℃、晴れのち曇り。 このところ乗数が少ない(20名)。採算のとれるボーダー数は35名だそうだから、ちょっときつそうだ。 スコットの友人が、ボイヤジャーに乗船し、ハイドロフォン(水中マイク)でクジラの声の録音を試みた。ハイドロフォンは、耐水性で、水中に沈めて水中の音を録ることができる。 ザトウクジラの歌は、ロジャー・ペイン博士が初めて研究し、のちに録音された歌は、レコードになりミリオンセラーになった。 ザトウクジラは秋〜冬に繁殖のために南へ移動し、そこでオスが、メスを魅了するためか、他のオスと競争するために歌うと言われている。 北大西洋でいえば、中南米に浮かぶドミニカ共和国沖辺り(シルバー堆)が、歌を歌う繁殖場所だが、夏の採餌海域(つまりここ、ステルワーゲン堆)でも、時たま聞かれるそうだ。ただし、静かな日に、木製の船に寝そべって耳を船底につければ聞こえるが、ボイヤジャーのような近代的な船では、ハイドロフォンを使わずに船上から聴くことはできない。 ザトウクジラの出す音には、その他に、トランペットの「パオーッ」というような音(トランペッティング)があるが、これはここでも聴くことができる。 水族館ガイドのクラスで肩を並べて勉強した、ジュンの旦那さんとお孫さんが乗ってきた。ジュンも岸壁まで2人を見送りにきていた。 ジュンと旦那さんは仲がよく、水族館ガイドのクラスが終わる時間になると、いつも、旦那さんのお迎えがきていて、よく3人で途中まで一緒に帰ったものだ。 今は、水族館ガイド最古参のエディスと、子供病院へヒトデやカニなどを持っていく、出張水族館の活動もしている。私も、広い水族館でお客さんを捕まえて説明する水族館ガイドより、病院のベッドで待っていてくれる子供に動物を説明する方が、気が楽なので、エディスに連れられて何度かハーバード大学の付属子供病院に行った。 お孫さんのジェイソンくんは、3歳になったばかりの本日唯一の子供のお客さん。 ホエールウォッチングは36インチ(90cm)以上でないと乗船できないので、「3歳になったらのせてあげるね」とジュンが言い聞かせて、この日を待っていたそうだ。人なつっこく愛嬌を振りまいて、乗客皆に可愛がられていた。ちょこちょこ走り回るので、ジュンの旦那さんは、危なくないようにとその後を追って、忙しそうだった。 私がクジラの写真を撮るのと同じように好きなのは、知り合いになった人の写真を撮ることだ。 記念にお二人一緒の写真も撮った。 ザトウクジラ6頭、月曜と同じ面々も見えた スプリンターの子供は、相変わらずのサービスぶりで、フリッパースラッピングとロブテーリングをした。 スプリンターとコーラルのソーシャライジングもみられた。 スコットの友人のハイドロフォンからは、残念ながら何も録れなかったらしい。 ボランティアは私一人だった。 1991年 10月11日 16℃、曇り。風10〜15MPH。海上段々荒れてくる。 乗客数40名ほどで、小学校の団体がある。 今日は、ジャッキーが今年最後のボランティア。 全部でザトウクジラ2頭だけだった。 始めは、ツェッペリンがロブテーリングとブリーチングを繰り返す一人舞台。 しばらくツェッペリンの行動を楽しんだ後、ボストンに戻ろうと船を走らせてすぐ、ロカが、ジャッキーの好きなフリッパースラッピングを何度もやっているところに出くわし、彼女を喜ばせた。そこで、また、ひとしきり、ロカの活動を見た。 1頭で、フリッパースラッピングがかなり近くて、その時には、ロカの目やお腹、お腹の畝や口の周りについたフジツボがきれいに見えた。 1991年 10月14日 13℃、晴れ。風5〜10MPH。海上は珍しく穏やか。 乗客数204名。今日は、ボイヤジャーで今年最後のボランティアの日。あとは平日の運行がなくなって週末だけになる。 館長のジョン・プレスコット氏も乗っていた。 水族館には職員が数百名、ボランティアになればその倍はくだらないと思われる水族館の館長なのに、数回会ったことのある私のことを覚えていて、いつ会っても、「ハーイ○○、ハーワーユー?」と呼びかけてくれる。 ザトウクジラ5頭(コーラル、スプリンターとその子供、など)。 2頭で一緒にフリッパースラッピングするとい珍しい行動が見られた。これもコミュニケーションの手段だろうか。 潮を吹く際の「パオーッ」というトランペッティングもよく聞こえた。スパイホッピングもあったが、お客さんが多かったので、動きがとれず、見逃してしまった。ロブテーリングも遠かった。 今、日本のある水族館のために、3世代目のクジラの飼育(つまり、あるクジラが飼育下で子供を産んで、その子供がまた飼育下で子供を産む)に成功している水族館がアメリカにあるか調べているが、それについてスコットが調べてくれていた。 Thinking Gallery(考えるギャラリー)の飼育担当のスティーブに、海棲ほ乳類飼育担当のキャッシーを紹介してもらったおかげで、彼女の名前を入れて、主な米国の水族館に問い合わせることもできた。かなりの数の3世代目が、アメリカにはいる。 スティーブ同様に、奥さんのバーバラも、水族館で飼育員をしている。彼女には、物静かだが、うちに秘めた強さがある。 私より身長も低くやせているのに、うまく台車なんかを使って大きなコンテナを1人で運んだりして、私は密かに、「マイ・ヒーロー」と呼んでいる。 彼女に一度、「どうやって、飼育員になったの?」と訊いたことがある。 「計画的だったのよ。始めは売店の職員に応募して、それから機を見て、飼育員募集に応募したの。」という答えが返ってきた。 バーバラは、私の尊敬する飼育員の一人だ。 来年、私にナチュラリストのアルバイトがあるかも知れないとのこと。 地球はまあるい 1991年 10月19日 13℃、晴れ。風5〜10MPH。海上は珍しく穏やか。 たった5日前に、「今日で今年は最後の航海」なんて言った舌の根も乾かぬうちに、まだしばらくはウォッチングが運行される土曜日に、ボランティアの日を切り替えた。「これでも主婦だから、家のことが優先」というようなことは、クジラの前では余り威張っていわない方がいい。 土曜はさすがにお客さんが多く、160名。 ウォッチングガイドのボランティアの仕事は、クジラに会えて楽しいけど、時間的束縛が長くて結構きついのか、割とよく人が入れ替わる。 私が働いていた平日も、最初から最後まで一緒だった人はいなかった。 でも、この土曜の3人は、珍しくシーズン初日から不変のチームだ。私と同じ年代の3人は、息もぴったりだ フィッシャーマンか船長といった感じのがっしりした体格のスティーブは、船や航海について詳しい。 しっかりもののバーバラと、ほんわかしたコレットがクジラ関係を受け持って、分業もしっかりできている。 コレットは、私と同様、海が荒れると時々船に酔う。ボランティアとして彼女がボイヤジャーに乗った初日には、ウォッチングガイド全員がウォッチングに招待され、私も乗っていた。海が荒れて、2人で客室のベンチに寝そべっていたのを覚えている。 今日は、ザトウクジラ5頭と、珍しく(スコットによると、ミンククジラは4週間ぶり)ミンククジラ2〜3頭。 ミンククジラは、たいていの場合、船にはお構いなしで、潮吹きの音がして「あ、クジラが出た」と探しているうちに背びれを出して、さっさといなくなってしまう。泳ぐ先の見当がつけにくく、次に浮上してくるところが、思いもかけずずっと先の方だったりする。でも、今日のミンククジラは、あまり船を怖がらない。浮上するとまず、ミンククジラ特有の尖った頭の先を見せ、結構船に近づいたこともあった。 ミンククジラの尖った頭や背びれとなめらかな背中 Cetacean Research Society(鯨類調査協会)の船とゾディアックが、同じ海域でザトウクジラの調査をしている。 調査は、尻尾の模様や形、体の特色を写真に撮り、個体識別し、その個体のいた場所、状況(子連れとか)、行動などを記録する。 それを長年続けて行くことで、それぞれの個体が、どういう歴史(いつ子供を産んだ、何頭子供がいる、どのクジラの子供であるなど)を持っているかひいては、ザトウクジラ全体の生態(繁殖、採餌、移動、寿命など)も分かるようになる。 フリッパースラッピングが見えた。 ボイヤジャーの1階には海図が置いてあるが、スティーブは、別に自分の海図を持参している。 スティーブによると、ボストンから南に下ったところに東へ突きているコッド岬とステルワーゲン堆は、昔陸続きであったそうだ。彼の海図では海底の地形がわかりやすく、陸続きの名残がよく分かった。 ちなみに、コッド岬からもホエールウォッチング船が出ていて、ステルワーゲン堆の南の方で、ウォッチングをする。 この辺りでは、セミクジラも、見えるようだ。 今日は、ミンククジラが近くでよく見えたので、ミンククジラを中心に写真を撮った。浮上したときの尖った頭を撮った。 1991年 10月26日 13℃、晴れ。風5〜10MPH。海上は珍しく穏やか。 お客さんは100名くらい。ボランティアはスティーブと私の2人だった。 この海域でさいしょに個体識別されたサルト ザトウクジラとその子供が協力して、バブルネットフィーディングしている。 こうやって親子や仲間で協力してフィーディングすることで、ザトウクジラに代々伝わる伝統漁法を子クジラは学ぶのだろう。 子クジラは餌を捕る途中で一度尻尾を上げてテールブリーチし、フリッパースラッピングも少しした。もし、子クジラが人間の子供と同じような感覚を持っているなら、このフィーディングは、彼(彼女)にとって真剣な魚捕りと言うよりは、遊び半分の感じなのだろう。魚を捕っているのは海面下らしく、残念ながら、バブルネットフィーディングの大口を開けて下あごを膨らませたクジラの姿は見えなかった。 ボストンに帰ろうとボイヤジャーが少し走ったところで、ティアーがブリーチングとフリッパースラッピング、潜水を繰り返していた。 まったく順序も変えることなく、このように動作を繰り返してくれると、私のような素人にも写真が撮りやすい。 それに、ティアーの斜め後ろから夕陽が輝いて、絵になるのだ。船を止めてそこでしばらくティアーを見ていた。 ティアーのブリーチ ティアーのお腹の畝が見える ひとしきりフリッパースラッピングをして・・・ またブリーチ! ブリーチングを繰り返す ブリーチ! ブリーチ! ブリーチ! ティアーを見ながら、乗客の若い女性と、日本の捕鯨について話した。 日本の行っているのはIWCの認める調査捕鯨で、絶滅は心配されていないミンククジラであることを知ってもらった。でも、日本人のほうも、もっともっと多くの人に、食肉として出てきたクジラだけでなく、生きたクジラも見て欲しい、限られた場所から発信される偏った情報ではなく、できるだけ多くのクジラについての情報を知ってから、捕鯨をするのか、やめるのかを判断して欲しい、なんて言うことも話した。 あたたかな夕方の日差しとティアーの素敵なパフォーマンスの中で、その女性と私は、こんな話題にもかかわらず、すっかり穏やかな気持ちで話していた。侃々諤々(かんかんがくがく)と論じなくても、もっと大きな気持ちでお互いを分かり合うことも必要だと思う。 でも、これはクジラに酔っていた(今日は船にではない)私の思い過ごしで、実際は、その女性は、私の言うままにさせて、クジラを眺めていただけなのかも知れないが。 しばらくして、スコットが3階からマイクで、「さあボストンに帰ります」といった。 あまりうっとりする光景なので、私が「もう一回だけ」といったのが上に聞こえて、スコットもこの光景が気に入ったらしく、笑いながら、「OK、もう一回」といってくれて、もうしばらくそこに留まり、やがてボストンに向けて出発した。 ティアーは、私たちがその場を離れた後も、一連の動作を繰り返していた。結局、ボストンに帰り着いたときは、いつもより1時間近く遅く、4時近くになっていた。夏と違って、もう薄暗い。 今日で、本当に、今年のホエールウォッチングは終わりです。 逆光のブリーチ |
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