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セミ鯨研究室でボランティアを始める

「エイミーに『何でもするから研究室でボランティアをさせて』と頼んだのに、もう1ヶ月もずっと連絡がないのよ」と、しびれを切らした私はパットに話した。
パットは、当時、私がロブスターの世話をしていた、水族館のエドジャートン研究室の研究員だ。

セミ鯨研究室は、公にはボランティアを募っていない。
一度、頼んだだけでボランティアが始められるとは、私も思っていなかったので、むしろ、やっぱりだめか、と言う気持ちだった。
それを、パットに、念押ししたい気持ちもあった。



セミ鯨研究者のエイミーに初めてあったのは、エドジャートン研究室でボランティアを始めて1年経ったことろ、研究室の皆でバーベキューピクニックをしたときだった。

セミ鯨の研究が水族館で行われているのは知っていたが、それがエドジャートン研究室に属しているのは知らなかった。
それもそのはず、セミ鯨研究室は、エドジャートン研究室のある水族館本館にはなく、本館を出て歩いて5〜6分、高速道路の高架がかかった交通の激しい4車線道路を渡った、観光名所のファニエルホールマーケット近くの別館にあったのだ。

その建物には展示はなくオフィスのみで、セミ鯨研究室の他には、デザインや企画部門が入っていた。
本館なら、ちょっと用事があるような顔をして見て回ることも出来るだろうけど、私にはまったく未開の地だった。

ピクニックにセミ鯨研究室からただ一人来ていた彼女は、背が高く、癖毛の明るいブラウンの長い髪をさっそうとなびかせて、ジーンズにラフなシャツ姿が似合っていた。
野外派でクールな女性だ。
水族館に勤める事務職以外の女性はたいていノーメークで、彼女ももちろん、化粧っ気はまったくない。(私はこの点でも、水族館に居心地の良さを感じていた)

この機会を逃すまいと、ピクニックの間ずっとエイミーにくっついて歩き、研究室でどんなことをしているのかとか、自分がセミ鯨の里親になったことやその鯨の近況なんかを訊いた。
彼女はお姉さんっぽい感じ(実際はわたしより年下だけど、水族館では大抵、私は年下に見られた)で、おそらくは今までさんざん訊かれてきたような私の質問にいちいち答えてくれた。
「今度遊びに行っていい?」と訊くと、快くOKしてくれた。

もちろん、ピクニックから帰ってすぐに研究室を訪ねた。
そのとき、ボランティアをさせて欲しいと彼女に頼んだのだった。


パットに話してまもなく、エイミーから、「これからフロリダに冬季セミ鯨調査に行くので、帰ってきた頃からボランティアに来てくれると助かります」という嬉しいメモが来た。
パットの思いやりで、彼女がエイミーに催促してくれたので、私のもとにメモが届けられたのだ。

彼女のお陰で、こうしてかなり強引に、私は研究室に『入り込んだ。
「エイミーを脅したの?」と訊くと、「ちょっとね」と、パットは笑って答えた。


セミ鯨研究室のこと

研究室のボランティアを始めたのは、研究員がフロリダから帰った’92年1月だった。

研究室は別館の最上階、ペントハウスにあった。
最上階と言っても、すぐそばに高架があって、町に向いた方はビルが間近に迫って、そんなに良い見晴らしではなかったが、反対側は、水族館の本館やその先のボストン湾も見え、ベランダにも出ることが出来る。

部屋は日本風に言うと、10畳板張り洋間くらいの大きさで、そこに研究員3人の机とコンピュータ、電話が3本、本棚3つとたくさんのファイルケースに本や資料が置いてあった。
資料の中に人がいると言った方がいいかも知れない。
世界的な成果をあげてきた研究室なのに、職員がたったの3人だった。

あちこちに置かれた銘柄の違うファイルケースは、年を重ねる毎に買い足していったらしい。
中には、個体識別された鯨の個別ファイルがびっしり詰まっていた。

セミ鯨は主に、頭部と下唇の周りにあるイボ状の皮膚、”カロシティー”の模様で個体識別されている。
ファイルの中味は、私がアマンダというセミ鯨の里親になったときにもらったのと同じような、各個体の身体的特徴やカロシティーの模様を手書きしたもの、その個体の履歴(子どもの有無、出生年、調査域で観察された年、行動など)を書いたもので、個体別の写真やスライドも沢山あった。
写真はカロシティーを見るためのものなので、殆どは頭部のものだ。


研究室は、いつものんびりして和気藹々と明るかった。

主任研究員のスコットは背が高く、顔の半分が白っぽいヒゲで覆われていて、低くて通りのよい柔らかな声の持ち主だ。
眼鏡の下には、怖そうだが優しい目がある。

私には、ほしい論文はなんでもコピーしなさいと、気前よく、そして何でも教えてくれた。
鯨の勉強に最適の本も選んでくれた。
日本に帰ったら、「この人なら紹介できる」と、日本人の研究者を教えてくれたこともあったが、不覚にも、名前を忘れてしまった!


スコットが部屋のドアから一番離れた角を占領していたのと反対に、入り口のすぐ近くに机を置いていたのは、もう一人の研究員、ジャッキーで、濃いブラウンの緩くウェーブしたショートカットの髪に、濃い色の好奇心に溢れたきらきらした目で、「そーう、あなたが新しいボランティアね。やっとたどり着いたって言う」と言って、回転椅子をくるっとこちらへ回して迎えてくれた。
顔は笑っていたが、目はしっかりと私を見据え、その声はちょっと保守的で皮肉っぽく聞こえた。
(これは、彼女なりの新人審査だ)

セミ鯨研究室のボランティアは毎週火曜の午後と金曜の午前中に決まった。


研究室の一日

セミ鯨研究室の1日は、水族館本館のものとはずいぶん違っていた。

あさの出勤時間はあまりはっきりしてなくて、ジャッキーが一番はやくて9時、最後のエイミーがきて3人が揃うのは10時ちかい。
仕事は、たいてい他の研究者との電話での情報交換から始まる。
電話が結構多くて、午前中殆ど電話で終わることもあった。
(なるほど3人に3台あるはずだ)

10時にはスコットの呼びかけで、皆で下の喫茶店におやつを買いに行き、ティーブレイクになる。
みんな朝が遅いから、時には朝食代わりのようだった。
ベーグルやブラウニーを食べて、コーヒーを飲みながら、しばらく皆で話〜鯨とは関係ない〜をして、また仕事が始まる。

帰りは、朝が遅い分、他の部署より終わるのが遅かった。
出勤にも退所にも、これと行って決まりがなく、各人が自分の仕事をして終わったら帰るという感じだった。

皆自由に行動していたが、時には全員で食事をすることもあった。
ジャッキーの提案で私の歓迎会を開いてくれたときは、隣のビルの日本食レストランに行った。
水族館の人間はなぜか刺身やすしの好きな人が多くて、セミ鯨の3人も例外ではなかった。
よりによって日本人の私は生魚が苦手で、よくからかわれた。


私の初めての仕事は、昔の、野外調査データの整理だった。
コンピュータに入力する前処理や、実際の入力はそれほど頭のいる仕事ではなかったが、時々、データの備考欄に「どっぼーん」とか意味不明の事が書いてあって、そんなのを質問しながら整理するのは、調査を目の当たりにしているようで楽しかった。
(ちなみにこの「どっぼーん」は、フロリダ海域を調査中、飛行機が故障して海に落ちた音で、幸いけが人はなかったそうだ。)

ジャッキーを除く2人は夜型で、午前中はまだ頭があまり回転してなくて、午前中にボランティアに来ても、お茶の時間などで正味働く時間は短く、あっという間に昼になり、おまけにこんなおもしろいデータは、事務的に整理などできるはずもなく、ついじっくり読んでしまうので、クビになりそうで少し焦っていた。
(3人はそんなこと意に介してないようだったが・・)


そうこうするうち、3人はフロリダへ、冬季のセミ鯨調査に向かい、私は1人で留守番する事になった。
オフィスのキーは、あらかじめスコットたちが下の事務所の人に頼んでいてくれたおかげで、いつでも借りることが出来た。

ここで、仕事の成果をあげないと、と思い、留守番の間は、せっせとデータ入力に励んだ。
皆がいないお陰(?)で、仕事もはかどり、3人がフロリダからもどってくるまでにはデータの入力を終わらせることが出来た。

留守の間は、ジャッキーが担当している里親プログラムのほうも手伝った。
季節柄、子どもたちにセミ鯨の里親をプレゼントしようと考える大人たちが割といて、クリスマス前は里親の”かき入れ時”でもあるわけだ。

セミ鯨研究室の研究員は、他のエドジャートン研究室の研究と同じように、水族館は場所を提供するだけで、研究資金は自分たちでかせがねばならない。
大きな研究資金源は、海棲ほ乳類保護に力を入れているアメリカ政府だが、里親からの寄付は、できるだけ多くの人々にセミ鯨のことを知ってもらうためにも大切なプログラムだ。

3人が机を置いている研究室とは別に、里親プログラムの問い合わせ用電話のある小さなオフィスがあって、ジャッキーは時々そこのコンピュータで里親に出すニューズレターを書いたり里親のデータを入力していた。
そこは彼女のプライベートルームみたいになっていて、私をその部屋に招き入れてくれた時は、彼女と私の間にあった小さな戸が開いたみたいで、嬉しかった。
どうして気を許してくれたのかは不明だが、一度うち解けると、ずいぶん大切に扱ってもらったし、日本のことをいろいろと聞きたがった。


研究室ではいつも、テープレコーダから音楽が流れていた。
ジャッキーに「日本の歌をもってきてよ」と言われて、うちにあったオフコースのテープをもっていったら、それが気に入ったらしく、一時期ずっとそれをかけていた。
それだけで飽きたらず、歌詞の意味や発音も訊いて、ついには水族館でただ一人(多分、マサチューセッツ州でもただ一人?)、オフコースの歌を日本語で歌える研究者となった。

ジャッキーは、すべてきちっとオーガナイズする人で、フロリダに発つ前にも、里親に送る資料や申込書など、正確に折り畳んで机の上に置き、私は、彼女がコンピュータで出力したマニュアルに沿って、申し込みや問い合わせの電話を受けたり、資料を送ったりすればよかった。
(この部屋には、セミ鯨のヒゲが一枚あって、ザトウ鯨とミンク鯨のヒゲしか見たことがない私は、背丈ほどもある長くて黒いヒゲにびっくりした。)


研究室には、IWC(国際捕鯨委員会)の科学委員会の報告書や鯨の生態に関する本、関係機関から送られてくる雑誌など、図書館では見付からない面白そうな読み物が沢山あった。
スコットの許しを得て、それらを借りて帰ったり、コピーさせてもらった。
本をなくしたりして迷惑をかけないように、貸出票を作って本棚に貼り、今どの本を借りているか、書き留めておいた。
表の下には、「これらの本が見付からない場合、funeを責めてください」と付け加えて。

スコットは大学で海棲ほ乳類について教えることもあって、「教科書にいい本はない?」と訊くと、本棚の中から、「鯨とイルカの自然史/Pエバンス著」と言う本を貸してくれた。
スコット自身は、「教科書は自分で読むものだから、授業では違うことを話している」と言っていた。
この本には、鯨の海域別種別の特徴や、進化、エサ、社会行動、生活史、人間との関わりについて書かれていて、ちょっと専門的だ。


エイミーとジャッキーとはいろいろな事を話すようになった。
スコットはやはりボスとか、お父さんというイメージ(といっても10才くらいしか違わないが)を持っていたので、年上として接したが、彼女たちは同年輩だった。

エイミーは、普段はクールなのに、時々見せるかわいらしさがギャップを感じさせて人間的で面白い。
かっこよくさっぱりしているけど、情があって子どもが大好きで、子どもの心をもっている素敵な人間だ。
「この仕事をしてなかったら子どもと接する仕事がしたかった」と話していた。

ジャッキーは仕事が速い。
文才があって、里親に出すニューズレターも、ジャッキーの手にかかれば、キーボードを叩くだけの時間で仕上がってしまう。
他人の目も気にせず、さっさと仕事を終えると自分のしたいことをしている。
そんなところが、私がここに来た当初、彼女に一筋縄ではいかない他人を寄せ付けない印象をいだいた原因かも知れない。
しかし、うち解けてくると、研究室の中で一番細やかな配慮をしているのが彼女だとも気づいた。

ジャッキーには芸術的センスもあって、セミ鯨の親子やコペポーダのデザインをした里親用のTシャツも彼女の案だ。
昔は、水族館のイルカのトレーナーをやっていて、もっと昔は、バンドを組んでギターを弾いていたそうだ。

ジャッキーは笑っていても、いつも目が真剣だった。
いつも、ものの奥に潜むものを見極めようとしていた。

そんなジャッキーは、私がボストンを去って1年しないうちに水族館をやめてデンマークへ移り、その後、合衆国南部へ。
場所は変わっても、情熱はいつも、鯨やセミ鯨に注いでいた。
2003年、合衆国南部のセミ鯨冬季調査で、調査機に乗って帰らぬ人となってしまったのも、彼女らしい。

(「リュベック1  」に続く)

 
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